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糸四章後編完

レクイエム

 病室には重苦しい時間が流れていた。
「連絡はまだなのか?」
最終段階を迎えつつある病人から目を離さずに医師がナースに確かめる。
「空港から電話がありました」
医師を助けながらも、ベッド脇で青ざめた表情の子供にナースは視線を走らせる。 
「おかあさん…」
点滴も酸素吸入器もすべてをはずされた母に呼びかけると、気配で母がゆっくりと眼を開ける。
心配そうな顔がすぐ前にある。大きな眼から涙があふれかかっている。ごく僅かな痛みを胸に感じた。涙を拭ってやりたくて、伸ばしかける手を子供がつかみ両手で包みこむ。
(あの人の手は大きな手だった)預けた手から子供のぬくもりが伝わってくる。また眼を閉じると胸の痛みは苦しくなくなった。青々とした海、澄み渡った大空。眼の前に広がる青に痛みも苦しさも感じなかった。
大空の中にいる夫が青を背景に笑いかけてくる。夫を囲む空の青さが子供の眼の色になる。(この子も空の子よ・・・)ますます相好をくずす夫に笑いかける。
「おかあさん…」
わずかに母が握り返す。手を預けたまま、うっとりと眼を閉じ母は微笑している。
再び胸の奥が再び痛んだ。だが、苦しくはない。
母の表情に幽かな変化が起きた。その表情を読み取ろうと健は身を乗り出した。震える両手から白い手が抜け落ちてシーツに転がった。
「おかあさん?」
病人の表情が変わっていた。ナースが子供を押しやり、医師たちが病人にかがみ込んだ。
「おかあさんっ!」
子供が泣きすがる。

健驚き

 

 ハイウェイを飛ばしながら夫人と同じ眼をした男の子の顔を思い浮かべ、時が止まるものなら止まって欲しいと願い続ける。危篤の急報を受け、南部博士に入れた連絡の返事を待つ間ももどかしく、国際科学技術庁を飛び出し空港からハイウェイを飛ばした。(間に合ってくれ・・・頼む)一心に祈る彼をあざ笑うかのように前方で渋滞が始まっている。焦りながらもブレーキペダルを踏み込んでいく彼の車の後方から、判断の遅れた大型トレーラーが速度を緩めないまま、巨大な壁のように圧し掛かってきた。二人のもとに駆けつけようとしていた主任の意識はそこで途切れた。

 

 

混乱

「わかりました。ありがとうございます。すぐに伺います」
夫人と子供、二人の安全を思うあまりその移動、入院、暮らしのすべてを、これまで一人で担ってきた主任が突然亡くなった今、二人の消息を追うのは容易ではなかった。身寄りがないために病院から市の児童局に連絡が取られ、駆けつけてきた担当者が児童養護施設に送っていった…交通事故の知らせを受け、そのまま主任の後を引き継いだ形になった中堅のスタッフが混乱の中、この情報にたどり着くまでにかなりの時間を要した。汗だくになって四方八方に連絡を取り懸命に情報収集に努めるうち、事態はついに南部博士のところに届いた。
「いったい君達は何をやっているのだ!」
ホントワールからの連絡に神経を尖らせていた南部は思わず、声を荒げた。取り返しのつかない事態が起こってしまったという現実が全員を重く包む。普段は穏やかで落ち着いた南部が激昂し、叱責されたスタッフ達はうろたえてうつむいてしまい、それが焦る南部をいっそう苛立たせる。重苦しく沈黙した室内に廊下を走る足音が響き、中堅のスタッフが駆け込んできた。
「見つかりました!すぐに行ってください。車を待たせてあります」
彼は玄関に向かう南部博士に並んで歩きながら、いきさつを早口に説明する。
「飛行機の予約は済んでいます。私もお供します」
国際科学技術庁の正面玄関では車が横付けされ、運転手が別のスタッフからアタッシェ・ケースや旅行バッグを受け取っている。
「パスポートは中に入っています。お気をつけて」
見送りのスタッフが言い終わらないうちにドアが閉まり、車は動き出す。

 

閃光

就任式の夜は国中で夜通しの大騒ぎになった。観光客も国民も老いも若きも一緒になって、あちらこちらで肩を組み、乾杯を繰り返しては浮かれ騒いでいる。遊歩道に添った広場には国旗をデザインした提灯が遠くまで連なり、人々が歌い踊っている。少し離れたところでは若者達が花火を始め、夜空に向かって花火を飛ばすたびに歓声をあげている。傭兵上がりのパイロットは待ち合わせの場所に向かって遊歩道を急いでいた。さきほどの花火の若者達が乗って来たらしい車が、連なって遊歩道に乗り上げているのをよけて車道に出る。停められている車の中には、生産が追いつかないほどの世界的な人気車種も混じっている。(たいしたもんだぜ、この国は・・・)
 車道を歩いても咎める人もクラクションもない。今夜ばかりは警察も機能していないらしい。それでなくても世界一平和で治安の良い国なのだ。(だからオレはこの国を選んだのさ)自然と口元に笑みが浮かぶ。交渉はあいつにやらせればいい。自分の顔が知られるのは今後のためにもまずい。8:2いや7:3までいいか?分け前をはずめば交渉役を引き受けてくれるだろう。なに、受け取るものさえ受け取れば、ホントワールに留まっていなくてもいいんだ。ワケありの雰囲気を漂わせている、あいつのためにもそう忠告してやろう。いつまでも自分の近くにいられるとこの先、何かにつけて不都合ってもんだ。呼び出した相手を思い浮かべ、これからの自分の運命を握るものを収めたパイロット・ジャンパーのポケットを押さえた。思わぬところから手に入れた国防関係の情報を苦労してマイクロ・フィルム化し、肌身離さずお守りのように身につけている。新しいお守りの莫大な価値を思い浮かべては緩む口元を今一度引き締めてゆるい坂道に変わった車道から、弾む足取りで遊歩道に戻ろうとした。不意に大きくカーブした坂道の先から車が現れた。ヘッドライトの眩しさに立ちすくむ彼に向かって、まっすぐ車が突っ込んできた。

「仕留めたか?」
「下に落ちたようです」
「確かめて来い!必ず止めを刺すんだ!」
歩道に乗り上げていた車から降りてきた秘密警察隊長は部下を怒鳴りつけた。

打ち合わせた場所に向かいながらも鷲尾はまだ迷っていた。南部の言うとおり危険極まりない上、すでに相手に顔を覚えられている。迷いが歩みを遅らせ、待ち合わせ場所の目印である展望台を見上げたときは時間が迫っていた。腹を決めた鷲尾は近道を選んで、海側からそのまま小さな森の中に入り、さらに奥へ進んでいった。さすがに森の中は人気もなくお祭り騒ぎの喧騒が遠くに響き、先を急ぐ彼の足音に波の音が小さく重なってくる。
「来てくれたんだな…」
不意に暗がりの中から声が聞こえ、全身を強張らせた鷲尾の足元に、もたれていた木の幹から剥れた男が転がった。
「どうしたんだ?大丈夫か?」
励ましながら抱え起こした手がべっとりと濡れた。
「逃げろ。やつらが・・・やつらが来る」
「やつら?何のことだ?」
打ち上げ花火が始まり、色とりどりの光の中でぼんやりと見える顔は苦痛に歪み、血と泥に汚れている。苦しげにむせる彼に少しでも楽な姿勢をとらせてやろうと四苦八苦していると、森の入り口が騒がしくなった。呼び交わす声も混じる。
「下ろしてくれ・・・」
「しっかりしろ!」
暗がりを見透かすようにしている鷲尾の袖を男が引く。
「ホントワールを…助けてくれ」
「何を言ってるんだ?」
袖を掴んだ手が探るように動く。汚れたその手をとってやると
「頼むぜ」
男は荒い息をつきながらも、うっすら笑った。乱れていた足音がこちらを目指して集まってくる。秘密警察が使う特徴のある色の光が見え隠れした。
「行け、はや・・・く」
「しかし…」
男は握っている手を振りほどこうともがく。仕方なく手を外し彼をその場に横たえて立ち上がり、海に通じる道をもと来た方角に走り出した。
「いたぞぅ!こっちだ!」
全速力で走りながら振り返ると、追っ手達の持つ光が男が横たわっているであろう辺りにみるみる集束していく。(捕まったな)それらが一塊になった瞬間、強烈な閃光が奔って轟音と共に爆発が起こり、鷲尾は地面に叩きつけられた。

「なんだ?いまのは?」
素早く隠れた車の陰から、隊長は部下にどなった。
「はっ!お待ちください」
無線係が先発隊に呼びかけているが、応答がない。

「う…」
じんと痺れたようだった耳が元通りになるにつれ、森の中には物音と人の気配が消え、火薬のにおいが漂っていることに気づいた。閃光弾と手榴弾を使って血路を開いてくれた男、傭兵パイロットの死を無駄にしないよう、一刻も早く現場から逃れるために走りに走った。
「馬鹿者!失敗したのかっ?」
細い目を吊り上げた隊長は、現場と無線機でやりとりをしている部下に向かって喚き散らした。
「はっ。ただいま、追跡隊の第二班が現場に到着しました」
隊長に詰め寄られた無線係は青くなって答えた。
「足跡はここで消えています」
「くそ、今夜は大潮だったな」
追跡隊第二班の班長は波が寄せては返す砂浜と、自分の指示を待つ部下達の顔を交互に見た。部下達の背後に見える森の向こうでは秘密警察隊長を囲む本隊が報告を待っている。隊長の酷薄な表情を思い浮かべた彼は決断した。
「よし、二手に分かれろ。半分は海岸をもっと捜せ。残りは俺について来い。あの岩場を捜すんだ」
断続的に上がり始めた花火の音にかき消されないよう大声で部下達に指示すると、班長は岩場を目指して走り出した。ゴツゴツした岩に足をとられながらも、男達は次々と岩場に上がる。頭上で連続して炸裂する花火の音に水音が混じったような気がして、班長は海面に目を凝らした。ピチャッと音をたてて大潮にのって来た魚が水面で跳ねた。花火の打ち上がる音が絶え間なく轟く。
海岸から引き上げてきた部下達の報告も聞いた班長は、ちらと森の向こうを見上げたが
「引き上げるぞ」
部下達を促して本隊に戻っていった。

 ためらっていた子どもが父に促されて思い切って飛び込み、自分に向かって懸命に水をかいてきた思い出の岩場。今夜だけは大人でも足がつかないほどの深みになっている。大潮に賭けた鷲尾は息の続くかぎり水面下を潜って進み、岩場を大きく迂回してできるだけ沖合いで浮かび上がった。肺が爆発しそうに苦しかったが、音を立てないように細心の注意をはらって呼吸を整えた。ゆっくりと水をかきながら岩場に近づいていき、手がかりを探りながらよじ登って辺りを油断なく見まわす。岩場のこちら側は住む人もないのか、黒々とした闇だけがひっそりと広がっている。その奥に彼だけには見えるかつての灯りに心を励まして、鷲尾はその場から去った。

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